ロッテファンだでなく野球ファンに知ってもらいたい七夕の悲劇~ジョニー黒木魂の力投~

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ロッテマリーンズファンだけにいつかは書こうと思っていたロッテネタ はじめはチームの紹介からと思ったのですが今日この日を迎えたので1990年代以前からのロッテファンには忘れられない七夕の悲劇について紹介します。

七夕の悲劇とは

1998年ロッテマリーンズがプロ野球史上初の17連敗を喫した日となっており、当時からのロッテファンには忘れられない日になっています。今年はジャイアンツが13連敗しましし、開幕から連敗続きでパリーグ最下位を独走する今年のロッテですら10連敗はありませんからいかに悪夢のような記録なのかお判りいただけるかと思います。

七夕の悲劇を振り返る。

1998年順調にスタートを切ったロッテマリーンズは首位で4月を追え、順調なスタートを切りましたが、4月下旬にストッパー河本が故障してから歯車が狂い始めます。ストッパーが固定できないまま5月は大幅に負け越して一気に5位に下がります。なんとか立て直しをはかりたいですが悪い流れは変えられず6月13日に連敗がスタートします。その前にこの年のロッテはそこそこ実績のある選手がおり、打者は小坂 初芝 平井 堀 フランコなどタイトルホルダー経験者もいました。投手陣についてもやや手薄だったものの小宮山 黒木のダブルエースがおり、そこまでの大連敗は考えにくい状況ではありました。しかし悪夢は始まります

ざっと連敗の記録です(途中引き分けを1挟みます)

  1. 6/13 ● ロ4-6オ
  2. 6/16 ● ロ8-12近
  3. 6/17 ● ロ6-9近
  4. 6/18 ● ロ5-7近
  5. 6/19 ● ロ0-7日
  6. 6/20 ● ロ2-3日
  7. 6/21 ● ロ10-11日
  8. 6/23 ● ロ0-4西
  9. 6/24 ● ロ5-6西
  10. 6/26 ● ロ1-3近
  11. 6/27 ● ロ1-3近 単独最下位
  12. 6/28 ● ロ2-6近
  13. 6/30 ▲ ロ5-5西 中村投手コーチ更迭
  14. 7/01 ● ロ4-7西
  15. 7/03 ● ロ3-4ダ
  16. 7/04 ● ロ7-10ダ
  17. 7/05 ● ロ3-10ダ プロ野球記録に並ぶ。
  18. 7/07 ● ロ3-7オ 七夕の悲劇 プロ野球新記録
  19. 7/08 ● ロ4-6オ

ご確認ください そこまで一方的に負け続けていたわけではありません。細かいスコアを拾って確認すればで言えばあと一歩で勝てた試合もあり、ちょっとした流れで勝ちを逃したこともありました。打てた日には投手が打たれる 投手が頑張ると打者が打てないといったいわゆるめぐりあわせの悪い日が続いてしまったのです。

なぜ七夕の悲劇といわれるか

七夕に連敗記録を作った それだけでないドラマがありました。 きっかけは上でも書いたストッパー河本の故障です。この後代わりのストッパーを固定できなかったロッテは苦肉の策で先発の黒木を抑えに回します。

黒木投手は当時4年目の若手投手でしたが、順調に実力を伸ばし、前年には二けた勝利を挙げ、この年も比較的安定した成績を残し、エース小宮山に次ぐ先発投手の位置づけでした。端正なルックスでしたが、投げるたびに大きな声で吠え、気合を前面に出すスタイルがファンに愛されていた投手でもあります。

ところが野球は難しいもので6/20 6/21と立て続けにリリーフ失敗 先発で安定して投げている選手が最後の1イニングだけを抑えられない 投手とはかくもデリケートなものなのかということをまざまざと見せつけられました。

10連敗を過ぎることからマスコミは騒ぎ始め、最下位転落 投手コーチ更迭 球団社長の謝罪 7/4には神社にお払いに行くなど異様なムードになっていきます。そんな中でも連敗は止められず、7/5の大敗でプロ野球タイ記録となります。以前当時のダイエーホークスファンが生卵を投げつけるといった事件もあり、ファンの暴動などが懸念されましたが、当時のロッテファン数百人が試合後も「俺たちの誇り」という歌を残ってチームにエールを送り続けていました。この光景に近藤監督は涙し、怖くなって試合途中で帰宅した黒木投手は明日は腕が折れてもファンのために投げると決意しました。

そして迎えた7/7 オリックス戦 先発に戻った黒木投手は鬼気迫る圧巻の投球でオリックス打線をねじ伏せます。8回までわずか2安打1失点 スコアは3-1と二点リード 当時は蒸し暑くかなりの疲労と脱水症状が出ていたそうですが黒木は最終回のマウンドに向かいます。そしてこの回先頭のイチローを三振に仕留めます。スタミナ切れから終盤は球速が130キロ代まで落ちましたが、9回に入り140キロ後半まで突如球速が戻ります。後のインタビューで体が限界を超え、いわゆるゾーンに入った状態だったと本人は語っています。そして2アウト1塁までこぎつけ、最後の打者ニールに対してカウント1-2まで追い込みますが最後の勝負球である渾身の146キロストレートを本塁打されてしまい同点に追いつかれてしまします。

ここで黒木は糸が切れ、マウンドにうずくまってしまいます。当時のロッテベンチはまだ同点だからと黒木を続投させるつもりだったようです。しかしマウンド上の黒木の目に光るものを見て近藤監督は黒木の交代を告げました。また黒木はこの時ショックと疲労 脱水症状などでから右肩から全身に痙攣が広がり、マウンドを降りた後は一人で歩けないどころか一時生命も危ぶまれるほどでした。 結局ロッテはこの後リリーフ陣が打たれ、連敗し記録となります。

当時も分業は確立されていましたので黒木にリリーフという選択肢もあったのかもしれません。しかし河本 前年には成本と相次いでストッパーを失ったことからリリーフ陣が手薄だったこと。そしてその影響で惜しい試合をこれまでも逆転で落としたことなどもあってそれまで快投を続けてい黒木に託すことにしたのでしょう この選択はやむをえないと思います。

結局連敗は7/9に18で止まります 止めた試合はエースの小宮山が完投しました。

エピソード

後日黒木投手が小宮山投手に「なぜうずくまったんだ? あの場面は同点なのでまだうずくまっちゃいけない 俺ならうずくまらない 最後まで諦めたらだめなんだ」と諭され、一球の怖さとともに自分の甘さを知ったそうです。

振り返ってみて

黒木が抑えに回らなければそこまで連敗しなかったかもしれないなどの意見もありました。でもそれは結果論のような気がしています。

この年ロッテは61勝71敗3分の負け越し10で最下位に終わります。課題の抑え投手はウォーレン投手を急遽獲得し以降は立て直しに成功しますが首位とは10ゲーム差で結局はこの18連敗が大きく響いた形となりました。

それなりの実力者がいるロッテ 実はこの年チーム打率1位 防御率は2位でした。数字だけよくても勝てないという野球の難しさを実感できるシーズンとなりました。

なお翌1999年7/7 エース小宮山で勝利し、ロッテは結果的に一時的なもになりますが首位にたちます。 これもドラマではありますが、その時以来の7/7オリックス戦です。今年は首位はかないませんが今のロッテにも奮起を期待したいところです。

 

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